現在、コロナウイルスの関係で休みが多い。今回は5連休。3日続けて山に登ったので、今日はオフにしようと思っていたが、先の天気が良くないようなので、よく晴れた本日、近くの山に登ることにした。廿日市四季が丘の北西に位置する、折敷畑山(おしきばたやま)。登山口は宮園公園近くにあるらしい。(後で調べたら詳細に調べた地図があった。)
宮園公園に駐車しようと思ったが、連休中で利用者が多くいっぱい。
公園前のグランドに駐車する。
高速をまたいだ反対側に登山口がある。
電柱に小さい案内がある。
しばらくは舗装路を登る。
何カ所か鉄塔がある。
見晴らしのいい鉄塔の下から。高速道路と四季が丘団地。右の山は、野貝原山。
山道に入る。
ふかふかの落ち葉の道。
尾根道に出ると、風が吹くせいか、落ち葉が少ない。
また落ち葉の道。
また尾根道。
そして落ち葉の道。このパターンが続くようだ。勾配は緩やか。
最初の分岐に出る。
火の用心と一緒に、小さな表示がある。登山口にあった、赤と黄色の表示。2色の表示には「折敷畑山→」があり、赤1色のテープは道案内と、2種類の表示になっている。
表示に従い山頂に向かう。
少し勾配が大きくなるが、急登というほどではない。
休憩地はないので、大樹の下で一休み。
時折、道がはっきりしなくなるが、赤テープを頼りに進む。
斜面を登る。
最初のピーク、三角点。標高365m。
ピークから下る。
尾根道を行く。
登り返し。
倒木を乗り越える。
折敷畑古戦場跡に到着。ここが第2のピーク。厳島合戦の前年、毛利軍と陶軍の戦いがあった。
戦いの詳しい説明があるが、細かく読む気力もなく、後で調べることにした。
天文23年(1554)、毛利氏と陶氏が断交後初めての戦いを繰り広げた古戦場跡。陶氏と断交して自立を決意した毛利元就は、廿日市に兵3千を進め、桜尾城を本営とした。これに対し、陶晴賢は家臣の宮川甲斐守房長に7千の兵を授けて安芸に向かわせ、陶軍は桜尾城を見下ろす形で折敷畑山に布陣。6月5日、山麓の両軍は衝突。毛利軍の奇襲によって陶軍は総崩れ、宮川甲斐守は討死した。合戦の跡を示す標柱が、歴史の流れを静かに物語る。(はつかいち観光協会HPより)
古戦場跡から下る。立木に串戸講と書かれたプレート。何の意味かよくわからない。
登り始めて同じ景色の道が続き、後から写真を見ても、どこの写真か覚えていない。
斜面を登る。
倒木をくぐりぬける。
スマホのマップからして、もうすぐ山頂。
10:50、山頂に到着。登山口から約1時間半。折敷畑山、標高445m。登山口からの標高差は、約360m。
野貝原山への縦走路が続くが、現在は行けないようだ。
山頂に、休憩する場所も展望地もないので、すぐに下山開始。
古戦場跡で一服する。ここが四季が丘分岐になっている。四季が丘にも登山口がある。こちらから登る人も多いようだ。
展望所の矢印がある。この矢印は、この先に展望所があるという意味か、ここが展望所で矢印の方向が桜尾城か、2通りに解釈できるが、どちらにしても、展望はなかった。
展望地も休憩所もないので、滑らないように、ひたすら下山する。
唯一の展望所だった鉄塔を通過。
登山口に戻る。同じ目線に高速道路が見える。
隣に、カラオケボックスの廃屋。廃れた風情がいい。
高速をくぐりぬけ…
宮園公園に戻る。落ち葉だけが記憶に残る登山だった。落葉だけが印象に残った。いままでで一番地味な山かもしれない。
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