三方五湖から敦賀に戻り、金ヶ崎緑地公園へ到着。近くに「金ヶ崎の退き口」で知られる、金ヶ崎城跡がある。
海辺のデッキには、タイル張の地図。
「浦塩斯徳」でウラジオストク。
船首の形の展望台。
敦賀港。
敦賀港を歩く。
「欧亜国際連絡列車」(新橋~敦賀港駅~ウラジオストク~シベリア鉄道経由ヨーロッパ)の駅舎跡。敦賀鉄道資料館になっている。欧亜国際連絡列車は東京からパリまでの切符が買えたそうだ。
金ヶ崎城跡に行きたいが、道順がよく分からない。
暑いので、敦賀赤レンガに入る。
1905年の建設当時は、石油貯蔵庫として使われていた。軍事用の舞鶴赤レンガと対照的。
中に入る。有料。
大きなジオラマ。
模型の電車。
「くつをぬいでね」、ウラジオストクトンネル入り口。
這って進み、ジオラマ内部の穴から顔を出す。
ウラジオストクの町。敦賀にとっては特別な町だった。
スイッチバックの模型駅。
敦賀港の歴史が放映される。
夜になる。
赤レンガの係の人に、金ヶ崎城跡への道順を聞き、マップをもらい、城跡に向かう。
旧敦賀港線跡。
敦賀港方向。
このお寺の前を左に。
「金ヶ崎の退き口」の看板。大河ドラマで有名になったのだろう。
金ヶ崎の退き口:織田信長が越前(福井県)の朝倉義景を攻撃したところ、同盟関係にあった妹婿の小谷城(琵琶湖東岸)の浅井家の裏切りにあい、挟撃の危機に瀕した。そのため木下藤吉郎(豊臣秀吉)と、信長の同盟軍の徳川家康が後衛[注釈 1]となって、信長本隊が信長勢力地まで帰還するのを援護したのがこの戦いである。敦賀口における金ヶ崎城(敦賀市)攻略自体はすでに成功していたが、浅井家離反の情報を受けて、おおよそこの地で信長軍の撤退が始まり、木下藤吉郎の殿軍は最初にこの地を拠点にして撤退戦を行った。 (ウィキペディアより)
石段を登る。
神社の鳥居。
金崎宮。
金ヶ崎城址。
神社の横から、さらに登る。
途中見える敦賀の町。
階段を登る。
月見御殿まで3分。左に。
金ヶ崎古戦場跡。
敦賀港が見渡せる。
古戦場跡から下る。
赤レンガに戻る。
緑地公園の駐車場に戻る。
横が、赤レンガ。
レンタカーを返し、敦賀駅に向かう。
敦賀駅。
2024年、北陸新幹線が金沢から敦賀まで延長される予定。
新幹線工事中。
特急サンダーバードで新大阪まで行き、新幹線で帰る。
旅のマップ。盛りだくさんの旅になった。青線が車。
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