2022年5月27日金曜日

伊賀上野 (2022. 5.27)

以前から登りたい山があった。三重県の御在所岳。NHKの日本百名山で知ったと思う。登山の前後に観光地を入れて、2泊3日の旅にする。1日目は忍者の里伊賀。

新大阪→大坂→鶴橋→伊賀神戸、JRと近鉄で乗り継ぎ、近鉄の伊賀神戸駅で下車。ここからは伊賀鉄道で、伊賀市の中心地にある上野市駅に向かう。


 

上野市駅に到着。最近、忍者市駅と命名された。


伊賀上野城に向かう。


上野城跡。

天正13年(1585)に筒井定次が平楽寺・薬師寺のあった台地に近世城郭としての伊賀上野城を築きました。菊岡如幻の『伊水温故(いすいうんご)』によれば、城は高丘の頂上を本丸とし、東寄りに三層の天守閣を建て、城下町は古くから開けた北側(現在の小田町)を中心としました。慶長13年(1608)6月、筒井定次は改易となりましたが天守閣は、寛永10年(1633)頃に倒壊したと推定されます。(伊賀上野城より)


ブラタモリでの紹介された、日本1・2の石垣。


石垣の上。


南方向。


下を覗く。


見渡す。


石垣北側。


角の下を覗く。


石垣の上の休憩所。


堀。


台所門跡。


台所門の上から。


伊賀上野城。


天守閣。


展望台が見当たらないので、今日は中に入らず外から眺めるだけ。


城代屋敷跡。


一帯は上野公園。北側に進む。


忍者博物館。


入口。からくりの説明が11時からあるとのこと。


少し時間があるので、博物館見学。水蜘蛛や鎖鎌。水蜘蛛は、上に乗って水面を歩くのではなく。浮き輪のように使って、上半身が使えるようにするのが実際の使い方らしい。


忍者ショー開催中。ここは別料金。


忍者伝承館。


展示物。


時間になったので、からくり屋敷に戻る。忍者姿の女性職員によるていねいな説明。「九の一の〇〇です。」との事項紹介だった。


からくり戸の下は仏壇の下に通じている。


欄間の奥に見張の忍者。


仕掛け戸。左の小さな鍵を、木の葉などで上げて開く。他にも、各所に仕掛けがある。


忍者博物館を出る。趣のある門。

 

門の奥に俳聖殿。伊賀は忍者の里であると同時に、松尾芭蕉の生誕地でもある。

俳聖松尾芭蕉は伊賀市で1644年に生まれ、この俳聖殿は昭和17年(1942年)に芭蕉生誕300年を記念して建設されました。俳聖殿は芭蕉翁の旅姿を表して建てられ、丸い屋根は旅笠、「俳聖殿」の木額が顔、八角形のひさしは蓑と衣姿、堂は脚部、回廊の柱は杖と足を表わしています。殿内にある市の文化財に指定されている伊賀焼等身大の芭蕉座像は、芭蕉翁の命日に開催される「芭蕉祭」でのみ公開されます。 (観光三重より)


堀の周囲を歩く。


高石垣を下から。


上に人が立つ。先ほどは、あそこから見下ろしていた。

 

開化寺。

小六坂。

藤堂藩鉄砲練習場があった「西野丸」の高台から下る細い坂は小六坂と呼ばれ、両側に竹がそびえたち、凛とした静けさがいかにも風流。(観光三重より)


上野公園に戻る。左へ。


右は石垣の上に続く。


俳聖殿の前を通過。


芭蕉翁記念館。芭蕉関連施設の共通券を購入。


上野公園を後にする。


芭蕉生誕の地。


芭蕉生家。29歳までここで過ごした。


20畳ある三間続きの和室。


釣月軒。

 

ここで処女句集「貝おほひ」を執筆した。

 

無明庵跡。


市街を南に進む。ウィンドウに芭蕉の句。


蓑虫庵に到着。

芭蕉の門人 伊賀連衆の高弟 服部土芳の居宅。土芳はここで芭蕉の遺語を集めて「三草子」を執筆しました。庵開きの祝いとして芭蕉が贈った句「みの虫の音を聞きにこよ草の庵」にちなんで名づけられました。芭蕉翁五庵の中で唯一現存する庵です。(伊賀上野観光協会より)


中に入る。

 

古池塚。

 

池の向こうに蓑虫庵。

 

蓑虫庵。

 

みの虫塚と若菜塚。


苔庭。


町を北に戻る。伊賀流忍者店。忍者グッズ専門店。


古い町並み。


忍町。


屋根の上に…


忍者。グーグルマップでは忍者瓦。


店の壁に、だまし絵。

 

ブラタモリで紹介されたものか。

 

他にも…

 

上野市駅に戻る。駅前に芭蕉像。

 

駅構内。

 

伊賀上野駅に向かう。

 

伊賀上野駅で、JR関西本線に乗り換え、関宿に向かう。


伊賀上野のマップ。


⇒関宿 (2022. 5.27)へ


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