石見銀山の龍源寺間歩の開門時間9時までに時間があるので、ホテルからそう遠くない景勝地2ヶ所に寄って行く。1つ目は、波根西の珪化木。
ホテルから10分くらい走ったJR久手駅と波根駅の中間にある入口付近に駐車する。案内の方向へ登る。
あの先にあるようだ。
遊歩道が整備されている。
波根西の珪化木。
波根西の珪化木は、1300~1500万年ほど前の樹木が石化したものです。大田市久手町波根西の海岸にあり、太さ約1m,長さ5m(埋没部も含めると10m以上)の木の化石が波打ち際の崖面から突き出て海底に続く形で露出しています。この珪化木は日本海が形成された新第三紀中新世に、海岸近くの陸地で生じた火山活動に伴う土石流で押し流され堆積したものです。付近には大小の珪化木が多数埋没しており、浸食され洗い出されたものが付近の海底に多数転がっています。珪化木は、材の組織に珪素が沈殿して有機物と置き換わったもので、成分的にはメノウやオパールに変化しています。(おおだWEBミュージアムより)
予備知識なしに見れば、普通の枯れ木に見える。
続いて、すぐ近くの掛戸松島。
海岸に岩が切り立ち、頂上に1本、松が生えている。
掛戸は両側に岩が切り立つ狭い水路で、その先の日本海に陽が沈む光景は大田の代表的な風景のひとつです。掛戸は、1950年まであった「波根湖」の水を海へ流すために作られた切り通し水路です。伝承では、14世紀初頭に地元の有力者、有馬氏が開削したと伝わります。波根湖は16世紀の石見銀山争奪戦において、尼子水軍の拠点が置かれた場所とされ、掛戸の東側の丘陵には「鰐走城」が構えられていました。切り通しの先に立つ岩は松島と呼ばれ、先端に立つ「一本松」とともに地域のシンボルとして親しまれています(おおだWEBミュージアムより)。
右側、切り立つ水路跡の岩壁。
掛戸松島を見ながら、大岩の上で朝ごはんのパンを食べて、石見銀山に向かう。
石見銀山観光の駐車場は、石見銀山公園と世界遺産センターの2ヶ所ある。センターの方が広いが、観光スポットには公園のほうが近い。
(石見銀山世界遺産センターより)
8時過ぎ、石見銀山公園に到着。
公園内にある、石見銀山の模型。
龍源寺は開くまで小1時間あるので、町並みゾーンを代官所跡まで歩く。
大森代官所地役人遺宅・宗岡家。通りには、このような遺宅が多くある。
お菓子処有馬光栄堂。現役の焼き菓子の店。
石見銀山代官所同心遺宅・柳原家。
郵便局。
理容館アラタ。町並みの中で見たかったところ。
中を見学できる。
町並みの終わり。
大森代官所跡。
中は、石見銀山資料館になっている。
町並みを引き返す。少し登り坂。
下るときに気になった高台に登る。
観音寺。
その前から町並み、代官所跡方向。
公園、龍源寺間歩方向。
とりあえず公園に戻る。
公園に戻り、ここで一服。
公園を横切り龍源寺間歩に向かう。
道は2つに分かれる。右が舗装路、左が遊歩道。
遊歩道に入る。
整備された遊歩道。
1943年の水害の後、再建された妙正寺。風情がある。
杉林を行く。
大安寺跡。
下に番号を振った石がある。崩れたとき、再び組み上げるためのものか。
川沿いに進む。
清水谷精錬所跡に逸れる。
清水谷精錬所跡。
明治時代になると、石見銀山では、一部の既存の間歩(坑道)を利用した地元の人たちによる小規模な採掘がかろうじて続いていましたが、明治19年に大阪の藤田組が、仙山(せんのやま)の福石鉱床の金銀含有率と量に着目し、近代的な製錬所を建設しました。しかし鉱石の品質が予想より悪く、また設備の銀の製錬能力もなかったことから不採算となり、明治29年で操業を停止しました。その施設跡です。(Fukutomi design officeのHPより)
上の方まで続いている。
上まで登る。
どのように精錬するのか仕組みが分からないが、このような穴が並んでいる。後で調べて知る前は、江戸時代に下は大掛かりな精錬所だと思っていた。
遊歩道まで戻り、空き屋になった店先で一休み。昨日の、縦走の疲れが残っている。
新切間歩跡。
間歩には番号が振ってある。
橋を渡り、公園で別れた舗装路に合流する。
福神山間歩跡。
脇に、459番の小さな間歩。張ってようやく通れるような狭い通路。こんなところからも掘ったのだろうか。
現在も発掘中。
龍源寺間歩に向かう。
龍源寺間歩の受付。入場料410円。
龍源寺間歩入口。
間歩とは鉱山の掘り口のことで、龍源寺間歩は世界遺産・石見銀山遺跡の中で唯一、常時公開されている坑道です。中は冬あたたかく夏はひんやりとしています。壁面には当時ノミで掘り進んだ跡がそのまま残っており、また排水のため垂直に100mも掘られた竪坑も見ることができ、石見銀山絵巻等の展示もあるなど、当時の石見銀山の姿を体感できる場所です。龍源寺間歩は江戸時代中頃に開発されたもので、長さは600mに及びます。大久保間歩に次ぐ大坑道で、良質の銀鉱石が多く掘り出されました。閉山したのは昭和18年といわれ、約230年もの間、間歩の開発が行われました。(しまね観光ナビより)
入口の脇には小さな間歩。掘れる所は何処でも掘ったという感じ。
中に入るとひんやりとして気持ちいい。気温は11~12度。
坑道の横には、あちこちに銀鉱脈をおって掘り進んだ「ひおい坑」がある。
龍源寺間歩を進む。
分岐に着く。
ここから先は幅も狭く、途中で落盤のため行き止まり。
幅は90cm。
狭い入口の前から。左が歩いて来た通路、右が出口。
1989年新しいできた栃畑谷新坑を出口に向かう。
途中に、石見銀山の説明パネルが並ぶ。
龍源寺間歩出口。
出口は入口とは離れたところ。栃畑谷新坑ができる前は、引き返したのだろうが、今は異なる。
公園に向かい戻る。
鉱山の神様、佐毘賣山(さひめやま)神社。石段の上で、工事中なのでパス。
龍源寺間歩入口への道と合流。
公園から龍源寺間歩までは2km以上あったが、バスも通っている。先ほど8人のりの電気自動車を見かけたが、それがグリーンスローモビリティだった。現在試運転中で無料だが、待ち時間があるので、歩くことにする。
帰りは舗装路を歩く。
公園に戻る。駐車中の車も増えている。
公園のそばにある羅漢寺。五百羅漢が見たいので参拝する。
羅漢寺を出る。
川を挟んだ向かいに、五百羅漢がある。
左右の石窟の中に250体ずつ安置されている五百羅漢像は石工技術の粋を集めた綿密な造りとなっており、さまざまな姿勢や表情が観られます。18世紀中頃、命がけの仕事でもあった銀山の採鉱。亡くなった人々の霊と先祖の霊を供養するために、代官や代官所役人、領内の人々の援助、協力を受けて温泉津町福光の石工が25年の歳月をかけて彫像したものです。当時の人々は、ここにお参りすれば亡くなった父母や近親者に会えるという噂が広まり、多くの人々が集まったそうです。五百羅漢とは、お釈迦様に従っていた500人の弟子のことで、世間一般の感情や欲望は越しているが仏、菩薩の境地には未だ到達せず我々人間と仏との間の存在といわれています。(なつかしの国石見より)
本堂の両サイド、2つの石窟に羅漢像が安置されている。
安全のため、石橋には3人以上は乗れない。
本堂左の石窟。中は撮影禁止。
それぞれ表情が違い、ゆっくり拝んだ。
(ネットより)
五百羅漢参拝を終え、石見世界遺産センターに向かう。
石見世界遺産センターに到着。公園から来るまで10分くらい。歩けばかなりの時間がかかる。下調べなしにここに来たら、戸惑うだろう。実際、何人かの人が案内係りに順路を尋ねていた。有料展示室、入館料310円。
入ってすぐ、銀貨のレプリカ。
石見銀山の歴史など、ビデオを含めた詳しい説明がある。
江戸時代の精錬の再現。清水谷精錬所は明治時代のもので、江戸時代は手作業だった。
集落の模型。
精錬所の模型。
坑道の模型。
銀貨30kg、重い。
外に出て展望台に上がる。
展望台からセンターを見下ろす。
石見銀山から、車で約30分。温泉津温泉に到着。
少し離れた専用駐車場に停めて、薬師湯に浸かる。 温泉津で人気の温泉。
風呂上りに3階のテラス。
温泉津の町並み。石見銀山同様、石州瓦の赤茶色が印象的だ。
2階踊り場に記名簿。
2階のラウンジ。風呂だけでなく、落ち着ける工夫がしてある。
温泉の隣が和風レストラン。一度中に入ったが、人気がなくひっそりしていたので遠慮した。
駐車場に戻る途中、お寺の掲示板に、「ねんぶつは阿弥陀さまのテレワーク…」。今の時期にマッチした言葉。思わず撮影。オンライン法事があるのも知った。
温泉から車で5分くらい。かつて石見銀山を支配した毛利氏が16世紀後半の40年間、銀の積み出しや銀山への物資補給地として使った、沖泊。
湾の入口の島には城があった。
現在は、若者の釣り場。アジが釣れるそうだ。
温泉津の港まで戻り、潮風に吹かれながら、コンビニのおにぎりで昼ごはん。温泉津方面。
日本海方面。
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