2020年6月7日日曜日

広浜鉄道今福線跡 (2020. 6.7)


広浜鉄道今福線は、かつて広島と島根を結ぶ島根側のルートとして計画され、一部工事もされたが、太平洋戦争、戦後の国鉄民営化により中断され、そのままになった路線。工事後はそのまま放置され、一部は道路に使用されるが、多くは遺構のまま残っている。そのため、「幻の広浜鉄道今福線」と呼ばれ、現在知る人ぞ知る観光スポットになっている。Googleマップで公開されたマップもあり、位置確認のためスマホに入れていったが、ところどころ圏外になり、探し探し巡ることになった。(広浜鉄道今福線は完成すれば、広島県のJR可部線三段峡駅と繋がる計画だったが、可部線もあき亀山以降は廃線になった。)
 (浜田市HPより)

出発は、JR山陰本線下府駅(しもこうえき)。

現在のホーム。

下に幻の3番線… と思ったが、後から確認すると、3番線は、山側のホームの隣だった。文字通り、見ることができなかった、幻の3番線だった。

マップに従い走ると、橋脚が見えてきた。少し離れたところに駐車して歩く。

有福第3トンネルと橋脚。

さらに車を走らせると、川に橋脚が一つ。

少し走り、今福第一トンネルと橋脚群の案内。

旧線では最長の橋梁。橋脚4基。

山側に橋台がある。

登ってみる。

今福第一トンネル。トンネルの向こうが浜田側。

トンネルの前から、橋脚群を見る。完成すれば、この上を列車が走った。

ズームアップ。

道路に戻り、下から。古代遺跡の風貌もある。

少し走り、位置確認のためチェックポイントにしていた棚田、千谷棚。

今は耕作はされていない。花壇になっている。

続いて、5連アーチ橋と今福第三トンネル。

第三トンネル北側。

5連アーチは何処?と探したら、鉄道跡が道路になっていて、道路のしたにアーチがあった。

下まで下りる。

アーチを残す形で、現代の道路が作られている。

車で、トンネルの反対側に行く。

今福第三トンネル南側。

4連アーチ橋。

アーチ橋の上を歩く。

橋を渡って、今福第4トンネル。

トンネルに入る。

トンネル出口。

ここに線路が敷かれ、広島に続く予定だった。

トンネルを戻る。露出の関係で見えないが、遠くに第三トンネル入口がある。

トンネルを戻ったところ。小さく、第三トンネルが写る。2つのトンネルはまっすぐに繋がっている。

順調に遺構めぐりを続け、残るは、おろち泣き橋と新鮮旧線交流地点。ガイドブックに従い、石見公民館近くに車を停めて歩く。おろち橋への矢印がある。

ウォーキングマップもある。

開き戸を開けて、おろち泣き橋に下りる。

 4連アーチのおろち泣き橋。
 この橋の下の1点に立つと、目の前の橋からある音が大きく聞こえる場所があります。4連アーチをおろち(大蛇)の胴体に例え、今福線が開通しないことが決まった日から、おろちがひそかに泣き続けていると地元の人は言います。(浜田市HPより)

下に下りて、泣き声が聞こえる1点を探す。

その1点を示す看板がある。そこに立って、手を叩くが、よく分からない。試行錯誤していると、地元のオジサンが来て、丁寧に説明してくれた。 位置はとても微妙だという。さらに、新鮮旧線交流地点に行くというと、ぜひともと勧められ、歩くとかなりあるから、車でも行けることを教わる。

いったん公民館前車を取りに戻り、歩いた道を車で進む。この先を進むと民家に突き当たる。一度は車で、2度目は歩いて、道を探したが、目的地に行く順路が分からない… 走行しているうちに、民家のご主人だろうか、シニア男性が声をかけてきた。自分の持っているマップを見せて、目的地を説明する。写真の橋の上を車で通れるとのこと。

一度歩いて、車で通る道を目し確認する。左が民家に続く道。右が目的地に続く道。来るときここは通ったが、右は山に入ると思い避けたのだった。

舗装されたいない砂利道を進み、慎重に橋を渡り、橋梁手前の広場に車を停める。橋梁をトンネルに向かい歩く。

 左が新線、右が旧線。

旧線のアーチ橋。

トンネルは行き止まり。ここで引き返す。

戻りながら。左の旧線と歩いている新線が交わるのが分かる。

車を停めた場所に、記帳簿があったので記帳して、今福線をあとにする。親切な地元の方の助けで回ることができた。なお、記帳簿を見ると、最近の各月、5~6人の人が訪れている。遠いところでは、仙台・東京・神奈川… 鉄道ファンだろう。

三瓶山をメインに考え、2日目は付録と思っていたが、石見銀山も今福線も見ごたえがあった。特に今福線の、橋脚群は印象深い。

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