いよいよ隠岐の旅も最終日。別府港から中之島の菱浦港に渡り、午後のフェリーで本土に帰る。中之島の観光スポットのメインは、明屋海岸。屏風岩(ハート岩)が人気である。
7:50のフェリーで菱浦港に向かう。
2日間宿泊した西ノ島を後にする。
菱浦港に到着。フェリー待合室の売店で、例によってパンを買う。なお、中之島は1島1町で、観光案内には海士町で案内されることが多い。
最初に隠岐神社を訪れる。
境内に向かう。
土俵がある。隠岐は相撲が盛ん。
前を、別府港で自分にフェリーについて尋ねられた、滋賀から来られた初老ご夫婦が行く。
手水舎。
神門。
隠岐神社。後鳥羽上皇が祀られている。
正倉院に似た校倉造り。
拝殿から神門方向。
神門を出て、参道を右に行く。
木立の中を進む。
後鳥羽上皇行在所跡。
源福寺という寺があり、そこを行在とした。
閑散とした行在所跡の前には大きなイチョウ。
石段を下る。
後鳥羽上皇御火葬塚。宮内庁管轄で中には入れない。
後醍醐は隠岐を脱出したが、後鳥羽は隠岐でなくなり、遺骨の一部が京都に運ばれた。
境内を一巡し、ここに出る。
神社の前の後鳥羽院資料館に寄っていく。後鳥羽上皇は歌詠みだった。「我こそは新じま守(もり)よ沖の海のあらき浪かぜ心してふけ」
明屋海岸に向かう途中、田んぼの中に鳥居が建つ。
田んぼの中を行く。
宇受賀命神社(うずかみことじんじゃ)。島根県の六社(出雲大社、熊野大社、水若酢神社、伊勢命神社、由良比女神社そして宇受賀命神社)の内の一社。
明屋海岸に到着。
遠くに隠岐の島。
明屋海岸。
遊歩道を行く。
赤崖。
小森島と二股島?
隠岐の島。
海岸を一望。
そして、屏風岩。洞門がハート型に見えるので、ハート岩として観光スポットになっている。
遊歩道は行き止まり。
赤崖と屏風岩。
遊歩道を引き返す。
屏風岩と小島群。
駐車場の下にある展望台。
展望台から。
明屋海岸の反対側に階段がある。
とりあえず登ってみる。
灯台があった。道はここまで。
灯台から下る。
途中、明屋海岸を一望する。左下が駐車場。車は自分の1台だけ。
続いて向かったのは、金光寺。途中、ハイキング中の園児たちに出会う。
近くに車を停めて歩く。
金光寺。
不動明王?
小野篁も隠岐に流されている。「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ あまのつり舟」、隠岐に流されるときに作った歌。彼は2年後に呼び戻され復活している。
この三叉路、よくわからないが、山頂の方向へ。
金光寺山山頂へ向かう。
一回りしたが、山頂らしきものは見当たらず、引き返す。
展望所に戻る。
中之島を前に、西ノ島から隠岐渡島。
中之島の台地。
駐車場に戻る。
予定の最後のスポット、木路ヶ埼灯台に向かう。
途中、鬼太郎がいた。七尋女房岩(ななひろにょうぼいわ)。水木しげる夫妻が訪れ、岩に霊気を感じたという。
登ってみる。
約5分で到着。息切れだけで、霊感のない自分は霊気は感じなかった。
ここで行き止まり。
階段を下りる。
金光寺から約30分運転して、木路ヶ埼灯台に到着。中之島の南端である。
左が知夫里島、右が西ノ島。
知夫里島の赤ハゲ山。
西ノ島の鬼舞展望台。
知夫里島の南端。
その向こうに本土が見える。
展望所で昼ご飯。しばらく休憩する。
いよいよ、隠岐の旅も終わる。菱浦港に向かう。
牛にさようなら。
馬にさようなら。
中之島のランドマークの風車。
戻る途中、木路ヶ埼を振り返る。
知夫里島を振り返る。
13:15、菱浦港に戻る。本土への便は15:15。あと2時間待ちだが、フェリー隠岐はもう着岸している。この便は11時半に西郷港を出港し、13時過ぎにはここに到着している。
港に停泊中の、海中展望船あまんぼう。本年度は休止。
海中展望船あまんぼうに乗り、海からしか見えない三郎岩。
実は、2日前、西郷港ら別府港に向かう途中、フェリーから見えたので撮影しておいた。
菱浦港の待合室。広くてきれいだ。
港周辺を散策。
八雲広場。
明治25年、小泉八雲が妻とともに海士町を訪れて、9日間滞在した。
穏やかな内海を、鏡浦と名付けた。
明治28年、隠岐汽船の発祥の地。
違う港で予約されていたようで、名簿になかったが、余裕は十分あるので乗船できた。15:15の七類港行に乗る。
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