2020年10月2日金曜日

益田 (2020.10. 2)

 松江出雲浜田… 島根県の主な町は訪れているが、益田は、ずいぶん前に立ち寄っただけ。現在、石見美術館で「北斎展」を開催しているので行くことにした。また、益田は、万葉の歌人・柿本人麻呂の終焉の地でもある。

 

戸河内ICで高速を下り、いつもの道を北上、臥龍山に向かう分岐を左折し、益田方面へ。途中、美都あたり、川べりに彼岸花が咲いている。


まず、衣毘須神社のある小浜海岸に到着。

 

砂浜の続く小浜海岸。日本画家の東山魁夷が皇居内に描いた「朝明けの海」のモチーフになっている。


向こうに宮ヶ島に建つ衣毘須(えびす)神社が見える。


神社には干潮時に歩いていける。今日の満潮が正午だったので、それを回避するため、朝早く出発している。

 

砂州を歩いて、宮ヶ島に向かう。


神社への階段を登る。


衣毘須神社。


神社の裏手から、萩方面。

 

日本海。小さく見える島は高島。1972年に集中豪雨の被害を受け、1975年に全住民が集団移住し、無人島になった。


浜田・出雲方面。

 

小浜海岸に突き出た岩は猫島。猫に見える?

 

衣毘須神社から益田市街に戻る途中の、持石海岸。


堤防の先へ行く。


堤防の先から。

 

次に、蟠竜湖(ばんりゅうこ)。海岸からの飛砂によって、付近で谷が堰き止められてできた堰止湖と呼ばれるもの。


売店がある。


貸しボート。人はいない。


湖畔を周回する道を探すが…


このあたりで道は途切れる。


売店の前に橋が見えるので、戻ることにする。


足元には、大きな鯉が群れる。


橋を渡る。市民の森とあるので、道はありそうだ。


階段を上る。


しばらく歩いてみたが、展望できる場所がないので引き返す。

 

蟠竜湖から近くに、万葉公園がある。広大な公園である。

 

駐車場も3つあり、まず正面口駐車場。


公園管理事務所。休憩所がある。


展望所に向かう路傍には、人麻呂の歌が立つ。

人麻呂展望広場に上る。

 

人麻呂展望広場。


益田の町並みが見える。


広場には、人麻呂の歌碑が建つ。人麻呂一色である。


有名な歌「東の 野にかぎろひの 立つ見えて かえり見すれば 月傾きぬ」


中央駐車場に移動。車はここの方が多い。


「まほろばの里」へ。幼稚園児たちの遠足に出会う。


まほろばの里。広い庭園。

 

庭園内を歩く。


万葉集に出る植物にちなんだ歌が立つ。やぶこうじ(万葉名やまたちばな)、大伴家持。

しい、有間皇子。「家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る」。謀反が発覚し捕らえられ、護送中に読んだ歌。


うめ、山上憶良。歌を見ながら歩くと、しだいに万葉の気分に慕っている。

 

庭園の上から。


まほろばの里の隣の、広大な芝生広場。遠くに、定番のゲートボール。

 

中央駐車場からは直接行けないので、一度出て、東口駐車場へ移動。

 

東口から公園へ。


ここも庭が広がる。


東屋に水車が回る。


万葉植物園。


紅葉の時期はきれいだろう。


まっすぐが、柿本神社への道。ここを左折し上る。

 

「柿本人麿 終焉之地鴨島」の碑。梅原猛の名がある。益田は人麻呂終焉の地とされるが、死因には、病死説、殉死説、そして水死説と諸説ある。その中で、いちばんドラマチックなのは、梅原猛が「水底の歌」で唱えた水死説である。自分も若い頃読んだ記憶がある。体に石を巻きつけられ船から突き落とされる老歌人… 韓国ドラマのワンシーンを想像させる。人麻呂が朝廷に仕えたのは、壬申の乱の後、天武持統の頃で、中央集権国家形成途上の頃だった。政争に巻き込まれた可能性もある。また、政争に巻き込まれ無念の死を遂げた菅原道真の天満宮と同様、人麻呂を祭った柿本神社も全国各地に存在する。無念の死を遂げた者の怨霊を鎮めるための神社…


鴨島遠望地と碑にはあったが、展望する場所が見当たらなかったので、下りて柿本神社に向かう。神社の裏側に出る。


正式の参道から上るために、一度下に下りてリセットする。車でここまで来ることもできる。


石段を登る。以前、益田に立ち寄ったときに訪れているかもしれない。高い所にあった神社の風景を覚えている。


楼門。


さらに石段を上るが、いろんな作者の歌や詩が書いてある。これは、金子みずずの「おさかな」。


石段を上ったところに、人麻呂辞世の歌の碑が建つ。「鴨山の磐根し枕(ま)ける吾をかも 知らにと妹が待ちつつあらん」。


本堂に上がる。柿本神社は全国各地にあるので、正式には高津柿本神社と言う。


拝殿で参拝。

人麿没後まもなく神亀年間(724〜729)に、聖武天皇の勅命によって終焉の地である鴨島に人麿を祀る小社が立てられましたが、300年後の万寿3年(1026)の大地震で島は海底に沈み、人麿のご神体も津波で流され、現在の高津松崎に漂着しました。そして地元の人によってこの高津松崎に人丸社が建てられ、 長い間人々の信仰を集めたとされており、更に600年後、風波のため破損がひどくなったため、1681年に津和野藩主亀井茲親(これちか)によって、高角山(標高約50m高津城跡)に移築され、今に残っています。拝殿は津和野城から参拝できるように津和野の方向へ向いています。(益田市観光協会HPより)


本殿の横に立つ人麻呂像。


本殿の前に展望所。


人麻呂も見たかもしれない山と川。


万葉植物園を抜け、駐車場に戻る。


万葉公園から北に少し行ったところ、益田川の河口に、鴨島跡展望地がある。


道路には、鴨島の方向が描いてある。

浜に下りるところに展望所。


矢印に従い、鴨島跡の方向。


浜の先まで行って、鴨島跡を中心に撮影。


次に、今日のもう一つのメインスポット、石見美術館に行く。

 北斎展は、北斎の絵が、詳しい解説と共に時代ごとに展示されていた。なかでも有名な「神奈川沖浪裏」の本物を見ることができたのは幸いだった。

(ネットからの画像)

中庭。石州瓦の色で統一されている。


正面エントランスのまえのモニュメント。


ここで昼ごはんにしようと考えていたが、レストランのランチは2000円以上で、諦める。


出口には、石見神楽の龍?が展示してあった。


 

最後に向かったのは萬福寺。


 

萬福寺本堂。


雪舟の庭がある。拝観料500円を受付で支払うが、受付のおばあさんの熱弁が止まらない。


熱弁をすり抜け庭に。


ゆっくりと庭を楽しむ。



本堂の裏側から、庭を見渡す縁側。


美術館で昼ごはんを食べそびれたので、益田駅近くに店がないかと走ってみたが、これといったものがなかった。コンビニでおにぎりを買って食べる。戸河内ICに戻る途中、匹見峡温泉やすらぎの里で風呂に入って帰る。


今日の行程図。


 

0 件のコメント:

コメントを投稿