立岩行のバスがあると調べてきた、峰山駅で下車。
バス停で待っていると、地元のシニア男性に、目が悪いので時刻表を見てくれないかと頼まれる。地理に不案内ではあるが探すと、自分の乗るバスの少し前にあった。彼によると、このあたり、古代には一大王国があったと言う。その他、地元愛にあふれた話を聞く。自分は広島から来て、ここを最後に今日帰るというと、天橋立は近いと勧められる。確かに、丹鉄ですぐだが、舞鶴方面から別の機会に訪れようと思う。
バスで約50分、丹後庁舎前バス停で下りる。乗客は、ほぼ自分ひとり。運賃は、上限200円で、申し訳ない気分になる。
立派な丹後庁舎。
まず、帰りのバスの時間を確認しておく。反対側にもバス停があるが、こちらは網野駅経由峰山行。来るとき、網野駅を通ったので、丹鉄の駅にはこちらの方が早く着く。次は15:30、今14時過ぎなので、約1時間半滞在できる。
立岩に向かう。
遠くに見える大形状の岩が立岩。
ズームイン。
立岩のある浜に下りる前に、左手にの岩がある。
水無月神社。
岩は、行者が岩。
かつては、この上で行を行ったが、今は通路が崩落し登れない。
浜辺に下りる。浜辺から行者が岩。
立石。
行者が岩から立岩へ。
砂浜を歩く。
寄せる波と立岩。
立岩に近づく。
立岩の左に、小さなお堂がある。
立岩、柱状玄武岩の一枚岩。
立岩の前から、行者が岩方向。
なぜか、母子像が立つ。立岩だけが目的だったので、下調べをしてこなかった。その理由は、あとで調べて分かった。
向こうにかかるのは、てんきてんき橋。
あの橋を渡って向こうに行きたいが…
木橋のため老朽化か、通行止め。向こうに渡るには、かなり上流に戻り、別の橋を渡らなければならない。あるいは干潮時には、浜を渡れるか。
時間も体力もないので、しかたなく戻る。
(京丹後ナビより) |
行者が岩の方へ戻る。
展望台がある。
展望台の上から、遅い昼ご飯のコンビニ弁当。
防砂林を行く。
間人皇后ゆかりの碑。またの名を、穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)。用明天皇の妃であり、聖徳太子の母。「間人」は「はしひと、はしうど」と読むが、下の事情で「たいざ」と読むようになった。このあたりの地名は、間人であり、バスを調べるとき、読めないので「あいだひと」「かんじん」で漢字変換していた。(WIndowsでは「たいざ」⇒「間人」で変換できた。)あの母子像は、間人皇后と聖徳太子。
6世紀末、聖徳太子の母で、用明天皇の后の穴穂部間人皇后が、蘇我、物部氏間の戦乱からこの地に逃れ住み、乱がおさまった後、都へ帰る時に里人へ感謝の念を込め自らの名「間人」を村名に贈った。里人は皇后の名をそのまま地名にするのはおそれ多いとして、皇后の御退座にちなみ、「間人」と書いて「たいざ」と読み伝えたといわれている。彼女の滞在を記念したこの像は、受けた恩を忘れぬように、そして里人がいつまでも優しい心をなくさないようにと願い、間人の海を見守るように優しくたたずんでいる。(京都府観光ガイドより)
というわけで、バス停の前にある施設、はしうど荘の名の由来も分かった。
少し離れたところにある、道の駅てんきてんき。
その横から、渡れなかったてんきてんき橋が見えた。
バス停でバスを待つ。
バスがやって来た。
網野駅で降りる。
帰りの経路をどうしようかとずっと考えていた。豊岡に戻り、特急で帰るのが一番便利だろうと思ったが、豊岡行の列車は1時間待ち。逆に、反対方向へ行く、丹後リレーというのがあった。宮津駅まで行き方向を変えて、丹鉄の宮福線を走り福知山へ。福知山までは乗り換えなし。福知山で、京都行特急「きのさき」、新大阪行特急「こうのとり」に待つことなく接続する。
16:27の丹後リレーに乗る。網野駅では自分ひとりだった。
途中、天橋立駅では、けっこう人が乗ってきた。福知山では、駅員が乗換案内をしていた。京都行と新大阪行を間違えて乗る人もいるからだろう。新大阪まで行き広島に帰る。自宅に着いたのは、21時過ぎだった。
今回の旅の訪問地。(緑⑧、⑨は時間があればと思ったが、とても無理だった。)
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