2020年11月16日月曜日

丹後半島<立岩> (2020.11.16)

 久美浜 (2020.11.16)より⇒

 

 立岩行のバスがあると調べてきた、峰山駅で下車。

バス停で待っていると、地元のシニア男性に、目が悪いので時刻表を見てくれないかと頼まれる。地理に不案内ではあるが探すと、自分の乗るバスの少し前にあった。彼によると、このあたり、古代には一大王国があったと言う。その他、地元愛にあふれた話を聞く。自分は広島から来て、ここを最後に今日帰るというと、天橋立は近いと勧められる。確かに、丹鉄ですぐだが、舞鶴方面から別の機会に訪れようと思う。


バスで約50分、丹後庁舎前バス停で下りる。乗客は、ほぼ自分ひとり。運賃は、上限200円で、申し訳ない気分になる。


立派な丹後庁舎。


まず、帰りのバスの時間を確認しておく。反対側にもバス停があるが、こちらは網野駅経由峰山行。来るとき、網野駅を通ったので、丹鉄の駅にはこちらの方が早く着く。次は15:30、今14時過ぎなので、約1時間半滞在できる。

 

立岩に向かう。


遠くに見える大形状の岩が立岩。


ズームイン。


立岩のある浜に下りる前に、左手にの岩がある。

 

水無月神社。


岩は、行者が岩。


かつては、この上で行を行ったが、今は通路が崩落し登れない。

 

浜辺に下りる。浜辺から行者が岩。


立石。


行者が岩から立岩へ。


砂浜を歩く。


寄せる波と立岩。


立岩に近づく。


立岩の左に、小さなお堂がある。


立岩、柱状玄武岩の一枚岩。


立岩の前から、行者が岩方向。


なぜか、母子像が立つ。立岩だけが目的だったので、下調べをしてこなかった。その理由は、あとで調べて分かった。


向こうにかかるのは、てんきてんき橋。


あの橋を渡って向こうに行きたいが…


木橋のため老朽化か、通行止め。向こうに渡るには、かなり上流に戻り、別の橋を渡らなければならない。あるいは干潮時には、浜を渡れるか。


時間も体力もないので、しかたなく戻る。


向こうに渡れば、立岩を別の角度で見ることができる。ネットで見るアングル。
京丹後ナビより)


行者が岩の方へ戻る。


展望台がある。


展望台の上から、遅い昼ご飯のコンビニ弁当。


防砂林を行く。

 

間人皇后ゆかりの碑。またの名を、穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)。用明天皇の妃であり、聖徳太子の母。「間人」は「はしひと、はしうど」と読むが、下の事情で「たいざ」と読むようになった。このあたりの地名は、間人であり、バスを調べるとき、読めないので「あいだひと」「かんじん」で漢字変換していた。(WIndowsでは「たいざ」⇒「間人」で変換できた。)あの母子像は、間人皇后と聖徳太子。

6世紀末、聖徳太子の母で、用明天皇の后の穴穂部間人皇后が、蘇我、物部氏間の戦乱からこの地に逃れ住み、乱がおさまった後、都へ帰る時に里人へ感謝の念を込め自らの名「間人」を村名に贈った。里人は皇后の名をそのまま地名にするのはおそれ多いとして、皇后の御退座にちなみ、「間人」と書いて「たいざ」と読み伝えたといわれている。彼女の滞在を記念したこの像は、受けた恩を忘れぬように、そして里人がいつまでも優しい心をなくさないようにと願い、間人の海を見守るように優しくたたずんでいる。(京都府観光ガイドより)


というわけで、バス停の前にある施設、はしうど荘の名の由来も分かった。


少し離れたところにある、道の駅てんきてんき。


その横から、渡れなかったてんきてんき橋が見えた。


バス停でバスを待つ。


バスがやって来た。


網野駅で降りる。


帰りの経路をどうしようかとずっと考えていた。豊岡に戻り、特急で帰るのが一番便利だろうと思ったが、豊岡行の列車は1時間待ち。逆に、反対方向へ行く、丹後リレーというのがあった。宮津駅まで行き方向を変えて、丹鉄の宮福線を走り福知山へ。福知山までは乗り換えなし。福知山で、京都行特急「きのさき」、新大阪行特急「こうのとり」に待つことなく接続する。

 

16:27の丹後リレーに乗る。網野駅では自分ひとりだった。


途中、天橋立駅では、けっこう人が乗ってきた。福知山では、駅員が乗換案内をしていた。京都行と新大阪行を間違えて乗る人もいるからだろう。新大阪まで行き広島に帰る。自宅に着いたのは、21時過ぎだった。


今回の旅の訪問地。(緑⑧、⑨は時間があればと思ったが、とても無理だった。)


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