今日のメインは辰ノ島。船は9時から出るので、ホテルでゆっくり朝ご飯をとって出かける。
辰ノ島観光船が出航する勝本港まで行ったが、9時の便は貸し切り、10時以降は2名以上の予約がないと出航しない。今のところ自分ひとり。こういう時は、一人旅の不便さを感じる。後ほど電話で様子を確認することにして、予定変更し、一支国博物館に行く。
魏志倭人伝の一支国に関する記述。
『又南渡一海千餘里 名曰瀚海 至一大國 官亦曰卑狗 副曰卑奴母離 方可三百里 多竹木叢林 有三千許家 差有田地 耕田猶不足食 亦南北市糴』
また南に瀚海(かんかい)と呼ばれる一つの海を渡り、千余里を行くと一大國に至る。また長官を卑狗(ひこ)といい、副官を卑奴母離(ひなもり)という。広さは約三百里四方ばかり。竹や木のしげみが多い。三千ばかりの家がある。田畑が少しあり、農耕だけでは食料には足らず、また、南や北に海を渡って穀物を買い入れている。
入館料400円。9時30分よりビデオ上映があるので、それまで展示を見学する。
展示コーナー。土器や農具、祭器など多数展示。
原の辻集落の様子。船で荷物が運ばれてきたところ。
人形の表情が面白い。
復元された古代船。
2F は権力者のコーナー。
古墳の復元。
シアターで10分くらいのビデをを見る。終わるとスクリーンが下がり、外が見渡せる、しゃれた建築になったいる。
原の辻遺跡が見える。
続いて、4Fの展望台へ。
原の辻遺跡へズームイン。
こちらは渡良三島。
博物館の屋根は芝で覆われている。
車で原の辻遺跡まで移動する。
遺跡に入る。
広々とした敷地。
田園を歩く。
高台に塔が見えるのが博物館。
丘の上に住居がある。
従者の宿舎。外国からの使節団の長の従者が滞在する所、
祭りや儀式の場所。
見張り台。
丘の上から一望する。
原の辻遺跡の見学が終わったころ、辰ノ島観光船の案内所に電話してみた。今のところ、14:30の便は出航するとのこと。それまでどう過ごそうかと思案しながら、昨日寄らなかった岳ノ辻の東側展望台へ行く。
岳ノ辻園地 東側展望広場。
展望台から、原の辻遺跡。
郷ノ浦港。郷ノ浦大橋が見える。
標高を記した標識があった。標高213m。ここが壱岐の最高地点。
続いて、壱岐風土記の丘・古墳館まで行く。考古資料が展示されているが、前に車だけ停めて、壱岐古墳群を散策する。
すぐ隣に、掛木古墳。
少し歩く。
濃い紅色の椿。
古墳散策マップがあるので確認する。
百合畑古墳群。周囲が遊歩道になっている。
古墳の連なりが見える。
百合畑古墳群の下から、笹塚古墳に向かう。
山間を行く。
途中で脇道に入る。
笹塚古墳。この小山全体が古墳のようだ。
元の道に戻り進むと、車道に出た。一度、駐車場に戻り、残る2つの古墳には車で行くことにする。
双六古墳。県内最大の前方後円墳。
後円。
前方。
前方後円墳。
踏み跡があったので、後円に上る。
後円の上から、前方。
後円の石室入り口。
散策マップにあった5つの古墳群の最後、鬼の窟。
石室は全長16.5m。壱岐島内では最長。なお、古墳群の古墳は6~7世紀のもの。
石室の入口は、石でふさがれている。
奥に続いているが…
手元に照明のスイッチがあった。奥には、石仏が見える。
続いて勝本城跡のある城山公園へ。
山頂に登る。
展望が開ける。
中央に砂浜が見えるのが辰ノ島。
勝本城跡。
豊臣秀吉が文禄・慶長の役に際して本陣の名護屋城から朝鮮への経由地となる壱岐と対馬に兵站基地となる城を築くことを命じ、壱岐においては島の領主である松浦鎮信が主に築城にあたることになった。1591年(天正19年)夏から工期約4ヶ月というごく短期間に築かれ、文禄・慶長の役を通じ利用された。1598年(慶長3年)に秀吉が没し朝鮮から撤兵した後は建物は取り壊された。 (ウィキペディアより)
城跡を下る。
ツワブキの花。
荒い石垣の積み方が、工期の短さを感じさせる。
駐車場はなぜかいっぱい。何かのイベントか作業があるのだろう。時刻は13時過ぎ。ここで、もう一度辰ノ島観光船に電話してみる。13:30の便が出るそうだ。ここから港まで近いので、十分間に合う。
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