2021年8月29日日曜日

津和地島 (2021. 8.29)

 四万十川<予土線> (2021. 8.28)より⇒

 

車は高浜港の駐車場に停め、7:40の西線高速船に乗る。この航路には何度も乗ったが、発着時にいつも同じ歌が流れる。調べたら、1989年、デビュー間もないころの坂本冬美が歌った旧中島町イメージソング「白いかおりの島へ」だった。こんな歌

 

津和地島に到着。

 

このマップを参考に反時計回りに歩く。


島の西側へ。


一周約7㎞。


常燈堂跡。

寛永14年(1637年)に松山藩によって設置された常燈堂の跡地である。松山藩が直営の公儀接待処として「お茶屋」を開設すると、津和地港の船の出入りは頻繁になってきた。さらに、寛永14年(1637年)10月に島原の乱が起きると、松山藩は11月には島原に出兵、軍団や軍用品などを送るため、内海航路の整備の一環として津和地港の入口・島の東の出崎に常夜燈を設置した。以来、この場所を「常燈鼻」と称するようになったという。「常燈」は石灯台で、点灯の形式は高知県梼原町立民俗資料館蔵のものと全く同じである。火番(不寝番)が常時2名ついて薪を石燈に入れて灯を点したという。(松山市公式ページより)


船着場。


前に怒和島の元怒和。


怒和島と二神島。


大きな船が通る。津和地島と怒和島の間は、潮の流れが速い。


島には平地はないので、段々畑。


島の北側へ。向こうに見えるのは、広島県の倉橋島


北の先端を回る。


小さな島は、流児島。いわくありげな名前だが、調べても分からなかった。


先日渡った、鹿島大橋が見える。


こちらは、3年前に訪れた山口県の柱島。津和地島は、愛媛県、広島県、山口県の県境に位置する。


岩場に下りて、ひと休み。


山側に上がる道があるが、通り過ごし、もう一つの分岐を探す。

 

島の西側へ。

 

柱島と倉橋島。


向こうの岬は、氏神鼻。


山に上がる分岐があるので曲がる。


山側に進む。

 

道が消えかけるので、無理しないで引き返す。


山はあきらめて、島の周囲を一周することにする。


氏神鼻の近く、砂浜に下りる。水がきれいだ。向こうに倉橋島。


東、歩いて来た方向。

 

西方向、周防大島が見える。


小さな祠のあるカーブ。

 

その前の岩場。

 

岩場から。周防大島、柱島、倉橋島。


情島。廃校になった学校が見える。去年の夏、あそこから、ここ津和地島を眺めた。

 

情島と柱島。


名前の分からない小島。


段々畑。シニア女性が作業中。


島の南に向かう。


左は港に向かう周回路。まっすぐ行って見る。

行き止まり。

 

浜辺には下りれた。


島の周囲には、いくつも海水浴のできる砂浜がある。時刻は11時前。帰りの船は12:34なので、ここでしばらく休む。


港に向かう。

 

反対側に出る。怒和島が見える。

 

浜に下りる。

 

怒和島と二神島。


向こうに見える白い建物は学校。


松山市立津和地小学校。

 

2017年より休校。


あそこを回れば港。


神社の鳥居。

 

八幡神社。


港が見える。津和地島の集落は、この一帯のみ。


やっと見つけた自販機。おそらくここだけ。


茶屋の跡を探すが分からなかった。暑いのでそのまま港に向かう。


港に戻る。

 

待合室。


帰りの船に乗る。


高浜港に戻る。


高浜から伊予鉄で大手町まで行き、松山駅前の喜助の湯で風呂に入る。


帰りはフェリーで広島に戻る。

 

フェリーのデッキから。いつも気になっていた山は、高縄山。近いうちに登ってみたい。左端に映るのが、去年の今頃訪れた鹿島


旅のマップ。