一昨日行った別子銅山記念館の側の山根公園の駐車場に到着。
ここから入る。上の方にえんとつ山の煙突が見える。
煙突山新登山道。所要時間約2分。そんなに近い?
階段を登る。
距離500m、所要時間約15分。先ほどのは20分のことだろう。
登り口。
登り。
分岐。どちらでも行けそうだが、矢印があるので左に。
尾根筋に出る。犬返方面は左だが、右、えんとつ山へ。
少し下る。
先ほど分かれた道と合流。
レンガ造りの煙突。
日本三大銅山の一つであった別子銅山・山根製錬所のレンガ造りの煙突が頂上に残る山。煙突は、建設から120年以上が経過した今日でも新居浜市の産業遺産のシンボルとして地元住民に親しまれ、山頂の煙突まで整備された遊歩道でハイキングやジョギングを楽しむ人々も多い。また、製錬所の煙突は、日本国内でも最古級の重化学工業の形見とされ、国の有形文化財に登録されている。(いよ観ネットより)
新居浜市街が見渡せる。
引き返し、奥の宮へ。
別子銅山記念館がある大山積神社の、奥の宮社。
奥の宮社からの景色。
次のポイントは生子山。生子山城址まで約20分。
登り口。
かなり急な登り。
標高200mポイントのベンチ。
登り。
標高240m。
分岐、左上に。
生子(庄司)山城址、約100m。
登り。
尾根筋に出る。登山道は右だが、先に左へ。
生子(庄司)山城址。
天正13年(1585年)7月に羽柴秀吉が四国征伐に乗り出し小早川隆景の軍が伊予国に侵攻すると、城主・松木安村は金子城の金子元宅らと共に高尾城へ入って小早川軍に抵抗したが戦死(天正の陣)、生子山城は鈴木重保が籠り防戦するも陥落し、廃城となった。(ウィキペディアより)
生子山城址からの景色。攻め来る毛利軍が見えただろう。
引き返し、生子山へ。山頂はもう少し高い所にある。
急登。
山頂に到着。
三角点。標高は300.5m
生子山からの急な下り。
向こうのピークが犬返?
ロープあり。
岩尾根。
下り。
登り返し。
登り。
登った所から、銅山越方面。
しばらく緩やかな道。
杉林。
鉄塔。
鉄塔の後ろに休憩ポイント。
ここは右に。小さく矢印がある。
登り。
不可解な文字?
平坦な道。
また登り。これを繰り返し、徐々に標高を上げる。
左へ。標識はないので、マップで確認。
杉林。
鉄塔。
鉄塔に直接書いてある。犬返10分。
種子川林道への分岐、直進、犬返へ。
後は緩やかな道。
犬返に到着。
標高579m。なんやかんやで標高差600mくらい登ってきた。
鐘を鳴らす。
銅山越方面。
伊予富士、石鎚山方面。
下に別子マイントピア別子。
犬も引き返すという名のごとく、先は急な下り。時刻は9:45なので、もう少し先に際を延ばす。
急な下り。
鞍部。
登り。
昨日の大森山にも似た、岩壁下り。
ようやく平坦になった…
と思ったら急な下り。
緩やかな道。
アップダウンは終わったようだ。
種子川山、標高538m。犬返からはハードな道だった。展望も休憩所もないので、引き返す。
先ほど苦労して下った岩壁。乗り返す。
急な下り。
登り。
犬返への登り返し。鐘が鳴った。どなたか登って来られたようだ。
犬返に戻る。
来た道を戻る。
下り。
鉄塔の休憩ポイントに戻る。
少し先の展望所から…
生子山。下に、えんとつ山も見える。
下りはピークを回避し、左へ。
巻道。
下に高速の松山道。
生子山。
山頂を越えるルートと合流。
生子山城址前の分岐を左へ。
下る。
奥の宮に戻る。
右へ。
下る。
階段を下り…
山根公園に戻る。
公園の側に別子銅山関連の施設跡。新田自彊舎跡。
自彊舎は、明治45年(1912)に旧別子の風呂屋谷で、青年坑夫の教育が必要であると感じた、後の別子鉱業所支配人・鷲尾勘解治の私塾として開かれたものである。「自彊」とは、「自ら努め励むこと。」の意である。大正5年に採鉱本部が東延から東平へ移転したことに伴い、自彊舎も東平の呉木に移転した。その後、鷲尾が病気で休職したために一時閉鎖され、さらに新居浜勤務になったために廃止されていた。大正15年(1926)11月、別子大争議の後、別子鉱業所経営の施設として自彊舎が再興され、川口新田に本塾が、東平と四阪島に支塾が設置され、運営は労働課があたることになった。昭和4年(1929)に、別子鉱業所講習所を廃止して自彊舎内に夜間の実業自習学校が設立された。小学校卒業者には中等程度の学科をし、これを終えた者には専門教育が施された。自彊舎に入って修行した人や実業自習学校で学んだ人から多くの中堅幹部が輩出された。(説明文)
公園のグラウンドの向こうに大山積神社。上に、えんとつ山。新居浜ICから高速に入り、石鎚山SAのじゃこ天うどんで昼食を済ませ、今治のしまなみ温泉喜助の湯で風呂に入り、しまなみ海道を走って帰る。
犬返のコース。
旅のマップ。
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