2020年9月1日火曜日

大飛島 (2020. 9. 1)

 岡山県の笠岡港から船で行く笠岡諸島。北木島真鍋島高島、白石島六島… ほとんどの島は訪れているが、ひとつだけ残っている島がある。大飛島。六島に行くときに寄港したので存在は知っているが、これといって見たいものがないので、そのままになっていた。今回、笠岡諸島コンプリートとして訪れる。

船は笠岡港から、1日4便出ている。8:50の便で行き、帰りの便は、大飛島を14:45に出る。周囲5.5kmの島なので、ゆっくり歩いても2時間で回れる。変な話だが、後の時間をどう過ごすかが、いちばんの関心事になった。 

 

いつもより遅めに出発したが、それでも1時間前に港に着いた。みなとオアシス にはきれいな待合室がある。

 

同じ時刻に出航する船があった迷ったが、検温を受けて、飛島経由六島行きの船に乗る。


約40分で、9:30に大飛島の洲港に到着。

笠岡市笠岡港から約18kmにある島で、一般的に大飛島・小飛島をあわせて飛島(ひしま)と呼ばれます。笠岡諸島は古くから瀬戸内海の交通の要衝で、中でも大飛島付近は瀬戸内海の東西の潮が離合する場所といわれ、往来する船がこの地で潮待ちをしていたと考えられています。その潮待ちの島、ならではなのかは分かりませんが、奈良時代から平安時代にかけての祭祀遺跡が発見され、おびただしい数の奉献品が出土したということがあり、笠岡諸島の中でも飛島が重要な地であったことが伺えます。かつては、大飛島の南東にある大浦港の近くから、東に砂洲が鳥のくちばしのように小飛島に向かって延び、大飛島と小飛島を結ぶ架け橋ともいわれていましたが、潮流の変化の影響などから現在では殆ど見ることができなくなっています。(またたび笠岡より)

人口は、大飛島45人、小飛島17人(2015年10月1日)


大飛島のマップ。

またたび笠岡より)


かつては小飛島と、干潮時に砂州で繋がっていた。


飛島小学校、幼稚園。平成26年、閉校閉園。


港風景。


島の周回路は山の中腹を鉢巻上に巻いている。周回路まで登る。


周回路に出る。今日は右に、反時計回りに回る。


周回路を行く。


さっそく、廃車と廃屋。


廃屋には、洗濯機と扇風機。かつての生活が感じられ、余計に寂しい。廃車は島のいたるところに放置されていた。


大飛島には、洲港以外にもう一つ港がある。北浦港。少し下ったところにある。


北浦港まで下りる。来るときも沖合いを通ったが、乗下船客がいないので通過した。


港から、小飛島。


笠岡諸島でいちばん大きい北木島。


むき出した岩肌が目印の白石島。


北浦港待合室?


周回路に戻る。


マップからすると、希少植物園? 文字通り、ほとんど生えてなくて希少だった。


集落が見えてきた。島には、何ヶ所か小集落が点在する。


Shirigae Area。跡で調べたら、尻替地区。


尻替の港に下りる。


2018年10月に鞆の浦から船で行った、走島


無人島だが、毎年夏に「宇治島サニーアイランド」という清掃活動が行われる宇治島。


週海路に戻る。大飛島は椿の島。植樹も行われている。


島の南側に向かう。木陰が消えると、今日も暑い。


椿の実。


はじめて広場があった。


木々の間に、尻替集落が見える。


しばらく休んだ後、また南に向かう。


六島が見えてきた。


また集落がある。沖浦地区。


集落から南にいくと、Saba Beachの案内。佐場海岸。時間はたっぷりあるので、海岸に下りる。


佐場ビーチから。南東に、六島。


南西に、宇治島。


正面には島影は見えない。


正午前、大飛島でいちばんの展望スポット、正床岬に到着。恋人の鐘があり、恋人岬とも呼ばれる。


屋根つきの休憩所。今日のような日にはありがたい。


南に、六島とその向こうに荘内半島。


粟島とその向こうに、先日行った志々島


東に、左から、真鍋島、佐柳島、高見島


ここまで、できるだけ時間をかけて休み休み歩いて来たが、帰りの船の時間まで、まだ2時間半以上ある。ベンチに横になって過ごす。なにか音がするので不思議に思ったが、静かな場所で、時計の秒針の進む音がよく聞こえた。


12:40、起き上がり港に向かう。


島で唯一の宿泊施設、カフェ&ゲストハウス、イルドール。


出発地点に戻る。


洲港に戻る。


飛島小学校跡の浦にある、大飛島洲の南遺跡。飛島小学校で鉄棒設置の工事で発見された。


奈良平安時代の祭祀跡。

飛島小学校の校庭にある。古代に、海上交通の安全を祈願した祭祀跡。昭和37(1962)、校庭に鉄棒を設置しようと地面を掘っていたところ、銅鏡・銅鈴・銅銭・土器類などが出土して偶然発見された。その後、何度か発掘調査が行われ、大きな岩の周りで「まつり」が行われていたことが判明した。特に、奈良~平安時代の出土品には、全国的にみても貴重な品々が含まれており、中央朝廷が祭祀に関与していた可能性が高い。遣唐使の航海の無事を祈る祭祀だったのかもしれないといわれる。津雲貝塚と並ぶ全国級の遺跡である。(笠岡市HPより)


赤い遣唐使船が停泊した光景を想像する。


新しい大浦港待合室。洲港は大浦港とも言う。


船の時間まで、約1時間。待合室には冷房もあるので、暑いのでうろうろしないで、室内で過ごす。弁当の左にあるのが、クーラーのリモコン。無人なので自分でONOFFする。


少し遅れて帰りの船がやって来た。


15:45、笠岡港に戻る。笠岡から在来線で福山まで。福山から新幹線で帰る。



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