2021年3月15日月曜日

島原<原城跡> (2021. 3.15)

 長崎まち歩き③ (2021. 3.14)より⇒

 

 2日間歩き回った長崎の町を後にし、今日は島原と雲仙を回る。早朝の長崎駅に向かう。

 

歩道橋の上から、路面電車の軌道。


始発の佐世保行に乗る。

 

諫早駅で島原鉄道に乗り換える。縞柄鉄道の列車は黄色がシンボルカラー。

 

終点の島原港一つ手前の、島原船津駅で下車。レンタカーは島原港近くのニコニコレンタカーで9時から予約を入れている。少し時間があるので歩く。

 

マップで見たとき、船津から島原港まで小島がたくさんあるので興味を持った。

 

小さな島が点在する。

 

島の向こうは有明海。

 

船津の港。向こうの山は眉山。七面山と天狗山の2山からなる。1990年の雲仙・普賢岳の大噴火では衝立となり、島原の町を土石流から守った。

 

島原港。熊本行の船が出ている。

 

足湯がある。加熱器が故障中とのことで、ぬるかった。


島原に来たのは、島原の乱(島原天草一揆)の舞台となった原城跡に行くためだが、島原までの列車の中で知った島原半島ジオパークのなかから、2カ所寄ってから行くことにした。1つ目は土石流被災家屋保存公園。

 

普賢岳が見える。

 

実は、普賢岳は左の方、いちばん高いところは大噴火により形成された平成新山。噴煙が立ち上っている。標高は1483m。普賢岳の標高は1359mなので、120m以上高くなった。

 

土石流被災家屋保存公園。被災当時のまま保存されている。

 

噴火前と後、復興後の写真。

 

土石流に埋まった家屋。屋根近くまで埋まっている。

 

土石流に埋まった家屋。

 

平成新山が見える。あそこから、ここまで流れてきた。土石流のすさまじさを感じる。

 

倒れた電信柱。

 

大型テント内にも家屋が保存されているが、まだ閉まっているので外から。

 

公園の隣に、道の駅みずなし本陣ふかえ。手前に、被災当時に活躍した消防車が展示されている。


 続いてやってきたのは、龍石海岸。

龍石海岸では、雲仙火山が最初に噴出したとされる50万年前の地層が観察できます。時代や形成過程の異なる3つの地層が同時に見学できるため、雲仙火山のはじまりとその後の成長過程を考える上で大変貴重な場所です。また、島原半島がどのようにできたかを語るうえで重要な場所と言えます。(南島原ひまわり観光協会より)


海岸を行く。


時代や形成過程の異なる3つの地層。

 

石段を登る。

 

小さな神社があった。琴平神社。


    向こうに見える陸地の先端に原城跡がある。原城跡に向かう。

原城跡の駐車場はいろいろあるようだが、一番わかりやすい「原城温泉 真砂」近くの刊行者用駐車場に停める。
大手門口から。本丸まで車で行くこともできるようだが、やはり歩いたほうがいい。
北三の丸。
南三の丸。
本丸に向かう。520m。
城跡というより、のどかな田園地帯よう。
遠くに本丸が見える。

 

「世界遺産 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連施設」の1つ。

 

二の丸出丸。

 

二の丸。

 

現役の畑も広がる。

 

本丸の下、石垣。石垣は本丸のみで確認され、他の曲輪は土造りとなっている。原城は17世紀初頭に築かれた近世の城だが、中世城郭のなごりがみられる… 説明板の要約。

 

島原・天草一揆の終結後、幕府軍により破壊されて石垣。

 

本丸正面。

 

ホネカミ地蔵。原城一帯に散乱していた敵も味方もない骨を集め供養した。

 

本丸正面から入ったところ。

 

虎口。

 

埋門跡。

 

崩された石垣。向こうは海。

 

本丸下の石垣。

 

本丸門跡。

 

本丸へ繋がる最後の門。

 

大手口から結構歩いた。本丸跡に到着。

 

本丸跡。

 

櫓台跡。

 

櫓台跡からの景色。

 

本丸の海側。

 

展望所。

 

かすんで天草は見えなかった。

 

十字架が建つ。

 

天草四郎の墓。原城で斬首され、その首は長崎出島でも晒された。

 

天草四郎の像。

天草四郎は益田甚兵衛の長男として生まれ、本名は益田四郎といいます。長崎に渡り学問をしたことなどが知られています。上津浦の南蛮寺にいたママコス神父が、「今から25年後、東西の雲が赤く焼け、5国中が鳴動するとき、一人の神童が現れて、人々を救うであろう」と予言を残して去ったという話がありました。人々の不安の中で、四郎こそが予言にある天の使者に違いないという噂が広まり、天草だけでなく島原一帯にも広まっていきました。そして、ついには一揆勢の総大将に担ぎ出されました。総大将とは言うもののシンボル的な存在であり、実際に指揮を執ったのは、父甚兵衛をはじめとする側近たちであったと言われています。原城に籠もった四郎は、歯にお歯黒をし、髪を後ろで束ねて前髪を垂らし、額に十字架を立て、白衣を着た呪術的な格好で、洗礼を授けたり、説教を行っていたと記録されています。(天草四郎観光協会より)


天草方向を向いた三体の石像。

 

池尻口門から下る。

 

海側をのぞき込む。

 

本丸海側の石垣。

 

本丸から下る。

 

向こうに雲仙岳(普賢岳など合わせた総称)が見える。

 

本丸下の石垣に戻る。

 

真っすぐが来た道。右折し海側に下る。

 

田園の中を下る。

 

ここから見た本丸。

 

海岸に出る。

 

本丸の下を歩く。

 

ここで行き止まり。

 

幕府軍がよじ登ったかもしれない断崖。

 

島原の乱の絵図。


海岸を駐車場に向かって歩く。


かつて血に染まった海も、いまは澄んでいる。


本丸に向かう分岐。


本丸を振り返る。

 

ダイコンの花の向こうに原城跡。

 

駐車場に戻る。


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