とても気に入った富岩環水公園で朝の散歩をして、富山市を後にする。
とやま鉄道で高岡まで行き、JR氷見線に乗り換え、雨晴駅で下車。
駅の横の写真パネル。これを期待してきたが… 今日は無理のようだ。
踏切を渡る。
雨晴海岸に出る。
波止場の見える氷見方面。
義経岩方面。
先に波止場の方へ。
波止場の先端。
先端から、雨晴海岸。
澄んでいれば立山連峰が見えるはず。今日は何も見えない。
見渡す。
波止場を戻る。
氷見と七尾方面。山のどこかに七尾城がある。
義経岩方向へ。
とりあえず出発地点に戻る。一休み。
義経岩に行く途中、雨晴駅。ちょうど列車が停まった。
遊歩道終わり。ここから海岸を歩く。
義経岩。
「義経岩(よしつねいわ)」は、鎌倉幕府の追捕を受けた源義経主従が奥州へ落ち延びる途中、にわか雨の晴れるのを待ったという岩で、地名「雨晴(あまはらし)」の由来となっています。また、義経岩のある雨晴海岸一帯は、松尾芭蕉が『おくのほそ道』に詠んだ由緒地であり、「おくのほそ道の風景地」として名勝に指定されています。(たかおか道しるべより)
鳥居がある。
上に義経社。
義経岩の裏へ。
女岩が見える。
海岸から見渡す。
踏切を渡り戻る。
道の駅雨晴。
2Fテラスと3F展望台。
展望台から。
雨晴駅に戻る。
運よく待ち時間なく10:38の高岡行列車が来た。この次は約50分後。
高岡駅に到着。
高岡大仏までは歩く。
高岡大仏。
見上げる。
日本三大仏に数えられる高岡大仏は、地元の銅器製造技術の粋を集め、1907年より26年の歳月をかけて完成したものです。はじまりはおよそ800年前、承久の乱をさけて越中に入道した源義勝が木造大仏を造営したことだといわれています。その後何度も荒廃や焼失といった危機にあいましたが、人々の願いにより再建を繰り返し今の形となっています。出来栄えが素晴らしいことから、日本一の美男とも呼ばれ銅器日本一の高岡の象徴的存在で愛され続けています。(とやま観光ナビより)
参拝。
堂内は一周でき、仏教画が展示されている。
背後に、仏像の頭部が安置されていた。
隣の寺院は大仏寺。
大仏寺と高岡大仏。
時鐘。
高岡大仏から歩いてすぐ、高岡古城公園。最初の橋を渡る。
南外濠。
高岡護国神社。
第2の橋。
西内濠。
射水神社に到着。
第一鳥居。
射水神社拝殿。
神社の横に、本丸広場。
前田利長騎馬像。
高岡城は前田利家の嫡男、前田利長が、自身の隠居城富山城が城下からの出火により建物の大半が焼失したため、新たな隠居城としてこの地を選び築城に着手したものの一国一条令により、未完成のまま5年後に廃城になった城。城は広大な水掘りに囲まれ本丸・二の丸を囲む掘幅は50mを超える規模となっている。(日本100名城ガイドより)
遊歩道沿いに彫像が並ぶ。
作品「行路」。
高岡城石垣の石。
紅葉。
東屋で一休み。
紅葉の道を行く。
三の丸に向かう朝陽橋は作業中のため通れない。
引き返す。
神社の裏側から下に。
濠に出る。
結局、神社の前まで戻り、次の目的地に向かう。
回り道をしたことで紅葉真っ盛りの道を歩くことができた。
水鳥たち。
堀沿いを歩く。紅葉シーズンで人が多い。
三の丸沿いに進む。
青井記念館美術館に到着。
その側に、高岡美術館。目的地の藤子・F・不二雄ふるさとギャラリーがある。
ギャラリーは2F。ここからは撮影不可。藤子・F・不二雄氏の生涯に沿って、オバQやドラえもんなどの資料が展示されている。川崎市にも同じ名前のミュージアムがあるが、川崎市は氏が生活した場所、高岡は生まれ育った場所。
ミュージアムからしばらく歩いて、万葉線の志貴野中学校前駅。
万葉線の越ノ潟行に乗る。万葉線は途中まで路面電車、米島口から専用軌道に入る。また、道幅に応じて、複線と単線が入れ替わり、面白い軌道.
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