かつて対馬は陸続きの島だったが、東西の往来をしやすくするために、2つの人工水路が作られた。大船越瀬戸と万関瀬戸。一番南の大船越瀬戸から北上して和多都美神社まで行く。
大船越瀬戸。駐車場はないので、橋を渡った所を左折し少し下りたところの広い路肩に車を置いて歩く。
対馬班3代藩主 、宗義真がこの瀬戸の開削を計画し、延べ3万5千人の労働力を投入し、約半年で竣功した。その後も、2期、3期、4期と拡張工事が行われ長さ262m、巾21.8m ~ 49mという規模へ拡大された。また、堆積土等を除去し管理するため、小規模の浚渫(瀬戸俊え)を繰り返し実地したが、船の動力化、大型化に対応するため昭和33年から36年にかけて水深1.5mの大規模浚渫工事を行い現在に到っている。また、分断された瀬戸を結ぶため幾度となく木橋が架けられていたが、昭和32年建設の旧大船越橋を経て、昭和45年に現在の大船越橋が建設されている。(長崎県のページより)
瀬戸に架かる橋。先ほど通ってきた。
瀬戸の西方向。
橋の下。
瀬戸の東方向。
橋の上に戻る。
大船越橋。
続いて万関(まんぜき)瀬戸。瀬戸に架かる万関橋の手前に公園駐車場がある。
移築されたのだろうか。公園内に西山家石屋根倉庫。
万関橋。
浅茅湾と三浦湾の間に開削された万関瀬戸と呼ばれる運河に架かる橋が万関橋です。この橋は平成8年に架け替えられ、3代目にあたります。明治後期、南下政策をとるロシアとの戦争の機運が高まり、日本海軍は水雷艇を対馬海峡東水道に出撃させるため、明治34年(1901年)、久須保水道(万関瀬戸)を開削しました。この万関橋は、その開削された瀬戸に架かり、対馬の上下島を結んでいます。(長崎しま旅行こうより)
橋の上から。東方向。
西方向。
「危険!車道に飛び出すな」。ここにもハングル。
橋の全体を見たくて下に下りる。
灯台があった。
灯台の側から。
万関橋。
駐車場に戻る。
万関橋から少し行ったところに、万関展望台。
一帯は広場になっているが、人はいない。
展望台から。
下に万関橋が見える。
3つ目の瀬戸は小船越瀬戸。小さな駐車場があった。瀬戸と言っても水路はなく、ここを越えてを東西を行き来した。西側は西漕手(にしのこいで)と呼ばれる。
古くはこの丘を船を引いて、東西の浦を行き来していたとされます。また、かつて遣隋使や遣唐使などは、九州本土から三浦湾に来て、西漕手に用意されていた別の船に乗り換えて大陸に向かったと言われています。その距離は200m足らずであったとされています。(このページより)
西漕手へ。左に下る。
入り江の先に出る。
使用されなくなった小舟が浮かぶ。
遊歩道を行く。
先端まで。
遊歩道先端。ここから大陸を目指し、ここに戻ってきた…
戻る。
石屋根の屋根になりそうな岩の層。
入り江の奥。
峠を越えて戻る。
西があれば東の漕手があるはず。痕跡を探してみる。
今は港。
小船が乗り入れられる水路があった。
続いて、和多都美神社(わたづみじんじゃ)に到着。
彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)と豊玉姫命(とよたまひめのみこと)を祭る海宮で、古くから竜宮伝説が残されています。本殿正面の5つの鳥居のうち2つは、海中にそびえ、潮の干満により、その様相を変え、遠く神話の時代を偲ばせる神秘的な雰囲気を漂わせています。(長崎しま旅行こうより)
本殿まで鳥居が並ぶ。
本殿前の鳥居。参拝。
本殿前から海側。海中鳥居まで一直線に並ぶ。
駐車場から鳥居 in 鳥居。
池に三柱鳥居。
現在引き潮。近づける。
海に一番近い鳥居(一の鳥居)は2020年9月の台風で倒壊したと聞いていたが、復旧されたいた。
海中の、鳥居 in 鳥居。
斜めから。
鳥居と神社。
烏帽子岳へ向かう。
烏帽子岳山頂下の駐車場から登る。
階段。
展望台。
展望台から、浅茅湾。
遠くに白嶽が見える。
ズームイン。
360度。
もう一度、ザ・対馬を目に焼き付けて…
下る。
リストアップしておいた温泉の1つ、湯多里ランドつしまに行ったら日帰り温泉は4月で営業終了、現在はプールのみ。もう一つの候補、たま(真珠)の湯に立ち寄る。対馬グランドホテルの側。
入口は分かりにくかった。
風呂上がりに、ツシマヤマネコ発見? 野良猫。エサを求めて寄ってきた。
ホテルに戻る。ホテル裏の風情ある川。島で2つしかないコンビニの1つ、ファミマで夕ご飯を買う。もう一つのコンビニ、ローソンは少し北にあり、出かけるときに昼ご飯を買った。
0 件のコメント:
コメントを投稿