2021年10月16日土曜日

対馬<旧金石城庭園> (2021.10.16)

 対馬<和多都美神社> (2021.10.15)より

 

 旅の最終日。今日は雨マーク。レンタカーは昨日返却したので、厳原と周辺を歩く。施設関連は9時からなので、朝いちばんは、少し離れた場所にある、対馬藩お船江跡に行く。

 

スマホマップで入り口を探して、ここから入る。

 

石垣のある広場。

 

石垣の反対側に、対馬藩お船江跡。

久田浦に注ぐ久田川の河口に、人口の入江が構築され、内部に四つの突堤と五つの船渠が設けられました。これを「お船江」あるいは「お船屋」と称しています。(現在は五つの内一つの船渠は埋め立てられています)満潮時には木造の大船が出入できる程の広さと深さがあり、干潮時には干上がるように出来ています。現在の遺構は寛文3年(1663)に造られました。築堤の石積みは当時の原形を保ち、正門、倉庫、休息の建物跡が残っており、往時の壮大な規模を窺うことが出来ます。江戸時代、海に面した各藩はその藩船を格納するお船屋を設けていましたが、現在これほど原形を保存している所は全国に無いといいます。(長崎しま旅行こうより)

 

入り江入口。


 お船江跡を見渡す。

 

突堤の方へ行けないかと道を探したが、行き止まりのようだった。

 

車道からの降り口があった。自分は裏側から来たようだ。

 

道路の向こうは港。

 

車道に上がり、橋の上から。ガイドに案内されてグループ旅行の人たち。

 

厳原に戻る。

 

港に停泊するフェリー。

 

厳原港。一番高い建物が、宿泊した東横イン。

 

歩きなれた川沿いの道を北へ。

 

中村の旧武家屋敷町。

 

厳原八幡宮鳥居。

 

神門。

 

厳原八幡宮。

 

ホテルの前にあるショッピングセンター。

 

その前に、観光情報館 ふれあい処つしま。

 

土産物も売っているが、観光情報を扱う観光の間がある。

 

対馬の歴史が詳しく掲示されている。

 

その中でも、床に描かれた航海ルートが面白かった。遣唐使、元寇、秀吉朝鮮出兵など、常に対馬は拠点になった。

 

金石城跡に向かう。

 

建設中の対馬博物館。

 

金石城跡。

享禄元年(1528)の内乱で、「池の屋形」は炎上消失しました。脱出した宗将盛は国分寺に避難し、国分寺の東側は空いていたので、そこに新しい屋形を築きました。それが「金石屋形」です。寛文5年(1665)、義真は国分寺を日吉に移転し、金石屋形を拡張しました。城郭を整備し、大手門に櫓を建て、多門櫓を造ったのが同9年で、これより「金石城」あるいは「府城」ともいいますが、天守閣は造りませんでした。(長崎しま旅行こうより)


旧金石城庭園へ。右は清水山城跡へ。7


庭園へ。


「李王家 宗伯爵家 御結婚奉祝記念碑」。宗武志徳恵姫の結婚を祝う碑。


庭園入口。有料。ここで管理人のおじさんの話を聞く。久しぶりの訪問者なのか、熱が入っていた。先ほど見た清水山城跡についても聞いた。

 

旧金石城跡庭園。

 

庭園を見渡す。


庭園から万松院へ向かう。

 

庭園出口。

 

出たところに門の跡がある。

 

金石城搦手門跡。

 

万松院の山門。ここからは入れない。

 

入口。もう一度参拝料を払う。

 

本堂。

 

御霊屋(おたまや)へ。御霊屋は対馬藩主宗家墓所。

 

百雁木。

 

宝満山にもあったが、雁木とは階段のこと。

 

途中に、中御霊屋。

 

藩主の側室や子供の墓。

 

雁木を登る。

 

登ったところで振り返る。左下が、中御霊屋。

 

雁木を登ったところ。

 

万松院の大杉。

 

1番古いもので樹齢1200年。

 

幹周りは最大のもので7メートル。

 

上御霊屋は東と西に分かれる。

 

上御霊屋東部。

 

西部。

 

32代藩主、宗義和の墓所。

 

それに比べて、19代宗義智(よしとし)のものは簡素。義智は対馬府中藩初代藩主。秀吉の朝鮮出兵に最後まで反対、関ヶ原合戦では西軍、その後、家康に、朝鮮との国交回復を命ぜられるなど、苦労の多い人だった。

 

御霊屋から下る。

 

石垣の側を戻る。

 

朝鮮通信使の碑。

 

庭園の管理人に教えてもらったところでは、あの上が清水山城跡らしい。帰りの船まで3時間以上あるので、小雨が気になるが登ることにする。

 

案内はしっかりある。

 

この階段から登り始める。

 

右は三ノ丸経由、左の遊歩道へ。

 

予期せぬ登山になった。

 

分岐、左は有明山を経て白嶽まで続く。


三ノ丸経由のルートと合流。二ノ丸まで110m。

 

二ノ丸へ。

 

石垣が見える。

 

二ノ丸。

 

広場。

 

先ほど下から見えた石垣か。

 

厳原の町。

 

一ノ丸へ110m。

 

一ノ丸へ。

 

登り。

 

石垣の門。

 

もう一つ門。

清水山城一ノ丸。

文禄・慶長の役に際し、豊臣秀吉は朝鮮出兵のための本陣として、肥前国松浦に名護屋城を築いたが、同時に朝鮮半島の釜山城までの駅城として壱岐勝本城、対馬清水山城を築いた。清水山の頂上に一ノ丸、東の屋根の先端に三ノ丸、その中間の段に二ノ丸と称する三段の曲輪があり、その間も石垣全長約500mが断続する。天正19(1591)年秀吉の朝鮮出兵時、毛利高政が築城したと伝えられてきたが、近年の研究では宗義智を主力として相良長海、高橋直次、筑紫広門らが加勢し築城されたという説も有力となっている。標高206mの一ノ丸は東西約50m、南北約40mの長方形角円で、中央に矢倉の基壇がある。東側正面には門址と桝形があり、西側搦手にも門址があり、山道に通じている。二ノ丸は小さく矢倉がない。三ノ丸は全形が把握し難いが、石垣の出張、門址、石段が遺っている。(長崎県のページより)


展望のよさそうな山頂へ。


清水山山頂。

 

山頂から厳原の町。

 

有明山、白嶽方向。雲に隠れて見えない。天気のいい日に登っておいてよかった。

 

山頂から下る。

 

一ノ丸から下る。

 

分岐に戻る。帰りは直進、三ノ丸経由で。

 

途中の石垣。

 

巨岩が見える。

 

三ノ丸。

 

広場から。

 

ホテルも見える。

 

下山。

 

登山口に戻る。

 

城址の入口に戻る。

 

ショッピングセンターのモスバーガーで昼ご飯を済ませ、港に向かう。

 

港に着くが閉まっている。来た時とは違う建物。近くにいた地元住民に聞くと、最近新しくなって移ったそうだ。


少し先に、新しいターミナル。


そういえば、ここから出てレンタカーを借りた。


船を待つ。

 

13時の便に乗る。乗客は多い。海は荒れていた。


博多港に戻る。


博多港での定番、波葉の湯で風呂に入り帰る。


旅のマップ。


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